ホーム > お知らせ > 『京都の町家と聚楽第』書評

『京都の町家と聚楽第』書評

『京都の町家と聚楽第』書評(梶山秀一郎さまより)

 主に民俗学的関心であったが、民家調査(1917、白茅会)が始まってから約100年。民家研究の嚆矢とされる民家の編年調査(1955年、太田博太郎研究室)開始から約60年。その間、連綿と続けられた民家や町家の調査、研究はすでに尽くされた感がある。また、いずれ失われるであろう対象を記録することが、調査、研究のもっぱらの動機であったが、事はその予測通りに進行し、町家や民家が文献資料や伝承とともに消失したことも、さらなる検証を困難にする。それに対して本書の著者はこれまでの研究による定説や流布する通説を疑うところから研究をスタートする。


 そもそも、この連作の第一作の『京都の町家と町なみ』は私が関わった『町家再生の技と知恵』が描いた「京町家は町衆と職人が作った」とする図式に疑義を抱き、法度や制度が果たした役割が大きいことを論証することが、著作の動機のひとつであった。それが、三部作完結篇の本書では、「摂丹型分布域の町家は同根」、「京都に古い町家はない」などの研究成果や主張、卯建の役割、塗虫籠窓の成因、鰻の寝床の原因などの通説に対する疑義と反証が著作の動機になっている。そのどんでん返しの手法は既存の調査、研究成果の読み込み、建築史の範囲を超える歴史資料や絵画資料の読み取りであり、その追求は納得できる論証を得るまでひるむことがない。その論証の道筋の追跡と成果の評価は、忍耐力をもち集中力を切らさず読み解いていただくしかない。

 それはそれとして、著者が法度や制度だけで京町家の成立や変遷が語れると考えているわけではないことは、つぶさに読み解けばあぶりだされるのであるが、主力はもっぱら法制度と町家の相関に注がれている。ちなみに、京都では市民活動グループによる活動成果として、京町家が脚光を浴びる状況を受けて、2000年に京都市が京のまちづくりは、京町家を基本として進めるとした「京町家再生プラン」をうちだし、'07年に町家と調和する景観条例とわが国では画期的なダウンゾーニング(高さ制限を下げる)を実施し、'12年には町家を建築基準法の適用除外とする条例が施行された。しかし、それが50年後、100年後に誇れる京のまちを作れるとは思えない。それは、それを受け止める地域自治や作り手の受け皿が失われているからである。中世から近世に、そして我々に引き渡された京町家や町なみは、いかに不自由な時代であっても、法制度とそれを受け止め、あるいはあざとくかわしたまちの主人公の役割があったと思う。著者はすでに広範な資料を渉猟するなかでそれをとらえていると思うし、それを描ける筋力がある。連作が完結した今、50年後、100年後に誇れる京の町家と町なみをつくろうとしている現代の町衆に元気を与え、かつ気軽に手にとって読んでみたいと思うような著作を期待する。

このページのトップへ

関連書籍

京都の町家と聚楽第

京都の町家と聚楽第

太閤秀吉による京都改造と町なみの変容

著者:丸山 俊明
 
 

このページのトップへ