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福西征子『ハンセン病療養所に生きた女性たち』読者からの感想

『ハンセン病療養所に生きた女性たち』(福西征子著)に読者の方から感想が寄せられました。

ご本人の許可を得て掲載させていただきます。

 

このたびは著書を送付いただき有難うございました。
冒頭「はしがき」を目にし、興味を覚え一気に通読しました。一般に入所者の手記なるものは、特にハンセン病の場合には、当人の生きざまを描く記録ですから、そこには感情に着色されながらも全き事実の積み重ねが持つ第三者のなまじ批評を許さない、かつ憐憫を拒絶する凄みがあるわけです。こうした手記がかつての「予防法」の理不尽さ、社会の偏見、当事者の悲惨と苦しみを訴え、無知な世間を覚醒する上で大きな力となった事は確かなことで、そしてと言うか、しかしと言うべきか、予防法廃止から20年を経た今年、回顧物ともいうべき記事を時折目にしますが(小生の目にするものなどはごく狭い範囲でしかありえませんが)、新たな視点からのものというよりは、おさらい的な解説ものが多いようです。それも世の流れか、ハンセン病への社会的な関心が薄れつつある、有り体に言えば、国家賠償もなされた今日、過去の事件として風化が進行しつつあるという現実を映しているのかもしれません。勿論それで良し、とする風潮に小生は与するものではありませんが、過去の国家的誤謬を清算したい、ないしは、すでに清算は終わったと考える向きもあるのでしょう。
そうした中での本書の意義は奈辺にあるか、と言えば大げさになりますが、小生のようなごく一般的なレベルのハンセン病理解者としては、よくよく、ハンセン病を「女性」の立ち位置から眺めるなどという発想がありませんでした。小生が男子ゆえ、ということではなく、この病は男女が等しく罹患するものであって、病を得た者の苦しみ悲しみは性差にかかわらず等質かつ等量であると考えたからです。また従来の手記ものでも、あえて女性の立場を意識してのものは無かった、ないしは、極々少数であったろうと思われます。
本書の5人の方の手記が読者に静かな感動を与えるのは、手記とは言い条、筆者の聞き書き(ルポルタージュ)が、女性の視点を座標軸に据えた新鮮な目線と、「聞き書き」ゆえの一貫した編集意思によるところが大であろうと思います。
それにしても今般の聞き書きの中では、改めて耳にしたことが多々ありました。曰く、入所の前後の経緯、所内学校の様子、所内労働やノルマ及び賃金のこと、食糧事情、結婚の形態、断種、子供を産み育てる事、所外の親族への考え方、法改正闘争時のことなどなど、でしょうか。読みながら心動かされるのは、悲惨な境遇ともいうべき所内生活の中でひたむきに生きる姿勢と、ある種の楽天主義的な女性の天性の勁さです。また、あの閉鎖社会にあって存外女性の立場が弱いものではなかったように書かれていると私は受け止めましたが、このことについては読者の受け止め方に微妙な違いがありうる訳で、それ故に、語った当人の心持ちの変遷過程を、書き取った筆者が慎重に受け止めなくてはならなかった苦労があったと推測します。案外ここに、「女性の目線」を超えて、ジェンダー論を持ち出す筆者の意図を感じたりもしましたが如何なものでしょうか。私のような浅読みでは難しいくだりではあります。
後半の解説も興味深く拝見しました。部外者にも分かり易い内容で、この解説だけでも「ハンセン氏病」テキストとして広く活用しうるのではないか。
翻って、今、原発汚染問題を日々の関心事としているのは福島県民だけでしょう。全国民にとってこの事は着実に風化案件となっています。ハンセン病のことも然り。これら「事件」への対処経緯は長く記憶すべきもので、それを軽んずることは天に唾することです。
以上、長々と相すみません。失礼な物言いがありましたら、お許し下さい。


NS(福島市在住)

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